先日のラジオの人生相談番組において、『親の身勝手をどうしたらよいか』という問いに対して、『親に対して私の気持ちを分かってもらえる、という希望があるから、腹がたったり、悩んだりするのだから、その親はもう変わらない、私のことを分かってはくれない、と認めることが、自分の人生を生きることだ』というような回答がされていました。
そうなんですね。私は『親がいつか反省して、星降るような愛情を注いでくれる』というような希望を潜在意識レベルで持っていたように思います。あの親、父も母も子どものまま結婚して子どもを持ったので、私のことも、弟のことも、可愛がることができなかった。子どもの気持ちを認めて、愛情を掛けて、励まし育てることができなかった。彼らは、そのような能力は持っていなかったのだ、と認めます。(とても悲しい・・・)
でも、やはりインナーチャイルドは、愛情を欲しがっています。たぶん、この子に愛情を掛けるのは、大人の私の役目だとはっきり自覚しました。
「大好きだよ、安さん。愛しているよ。信じているよ」 そう、私のインナーチャイルドと自分自身に呼びかけることにします。
読んでいただいて、有難うございました。
インナー「チャイルド」という呼び方が気になります。人は何歳まで、誰かのチャイルドでいられるのでしょう。私の感覚では、社会人になったら精神的に自立した一人の人間として、親である人との関係を作っていけたらいいなと思います。
自分自身が親の世代となる30代、40代になって、自分を「チャイルド」と捉えているのは、自分の精神的な幼さのような気がします。
その感覚になれたあたりからが、自立した大人のような気がします。
雲 様
コメントを頂き有難うございます。雲様のおっしゃりたいことは『親である人を一人の大人の人間として、関係を作るようにすることが自立した大人だと思う』と受け止めさせて頂きました。そのことはその通りだと思います。子供のとき得られなかった承認が、今の大人の私が欲しい、となると自立していないように思います。
ただ、私が言いたかったのは、自分の中にいる「悲しい・辛い思いをした子供」が今も泣いている、と捉えて、その子の思いを受取り、今の私が慰めてあげる方が、前進できるかな、ということです。インナーチャイルド・グリーフワークというのは、20世紀末にしばしば話題になった概念でそれなりに有用性のある概念だと思っています。
但し、今の私としては、子供の時に私が感じた「悲しい・辛い」ことを、今の私がありありと感じ切ることが重要だと思っております。
拙い所見を書いてしまいました。
雲様のご意見を今後も聞かせて頂けたら幸いです。
それでは、貴兄のご健康とご多幸をお祈りいたします。さようなら